人気ブランド米の産地!山形県のお米づくりの歴史

投稿日:2020/04/10 18:00


四季の変化が鮮やかな山形県。冬の間に山に蓄えられた雪は、やがて湧き水となって水田を潤します。そして寒さの厳しい冬を超えると、国内でも最高気温を記録するほどの暑い夏が訪れます。1年間の温度差が激しく、豊饒な土地は稲作には都合が良く、古くからお米の名産地として知られています。


山形県産のお米のはじまり


山形県のお米づくりの歴史は、出羽の国が置かれた8世紀にまで遡ります。豊臣秀吉の時代には、庄内米が御用米に選ばれるほど名産地として繁栄していました。その後も庄内藩は、産米増殖を進めていき、献上米を保管するための倉庫が沢山建てられました。


廻米航路が開かれた酒田港は、大阪の堂島などと並ぶ米取引の中心地となり、大きく繁栄しました。そんな背景をもつ庄内地域では、農家の人々が切磋琢磨しながら米作りを受け継いでいます。そして、その中で生まれたのが亀の尾という品種です。明治26年に阿部亀治が創選し、神力、愛国とともに日本水稲優良三大品種に数えられました。


亀の尾は多くの品種改良の交配母体にされ、コシヒカリやあきたこまちなど、多くの品種に影響を及ぼしています。庄内から生まれた亀の尾は、現在の良食味米のルーツといえる存在となっています。


しかし、戦争が始まると、お米に対する需要が一変します。食料不足だった日本は、質よりも量が求められるようになりました。日の丸や大国早生などの少ない肥料で育つ品種が重宝されまるようになります。その後もしばらくは多収品種が優先されたため、ササシグレやハツニシキ、フジミノリなどが主力品種となりました。


昭和40年代に入り、山形県で作られる品種も大きく動くことになります。しかし、庄内地域と内陸地域では、同じ県とは思えないほど米作りの方向性に大きな違いがありました。その頃は、山形県の全農は、全農山形と全農庄内に分かれていました。平成20年に両者が一緒になるまで、それぞれが独自の動きをしていました。


山形県産のお米の今


平成2年から山形県の米関係者の中で注目を集めたのが、「ユメのコメ」という謳い文句でデビューさせたはえぬきです。それを皮切りに新潟県や秋田県に押され気味だった米作り運動が継続して展開されるようになりました。「量より質」を生産者が求めるようになったことによって、山形県はさらにつや姫をデビューさせました。はえぬきで培った生産対策と管理を武器に緻密なブランド戦略を展開し、徐々に生産量や認知度を上げています。


まとめ


古くからお米の名産地として知られる山形県。その歴史は深く長いものです。米作りに恵まれた環境とその土地の人々の情熱が沢山のブランド米を生み出してきました。自然がもたらす恵みをぜひ楽しみながら味わってみてはいかがでしょうか。